奈良県
| 奈良県 | 奈良市 | |
|---|---|---|
| 面積 | 3,700㎢ | 280㎢ |
| 人口 | 1,300,000人 | 300,000人 |
目次
- 奈良の都
-
3世紀後半に豪族(la famille noble)が力を強め、奈良盆地にヤマト王権(La Royauté de Yamato)という政治組織誕生。
ヤマト王権は現天皇家の祖とされ、天皇陵や古墳が集まる。
平城京では、遣唐使(630~894)を通して唐などの諸外国との文化交流が行われ、多くの宝物を輸入し保管。- 遣隋使(600~618)…小野妹子
- 遣唐使(630~894)…吉備真備、阿倍仲麻呂、山上憶良、最澄、空海
694年に持統天皇が中国を手本とした中央集権国家を目指して「都城制…堅固な城壁で四周を囲んだ城郭都市で、宮城を中心に碁盤目状に区画された条坊制を採ったもの」導入。
日本最初の都として「藤原京」(現在の奈良県)を造営して以降、天皇は即位により住居を変えず、都が固定されるようになった。
藤原京以降、遷都は大きく5回のみ。
| 年代 | 天皇 | 所在地 | 規模 | |
|---|---|---|---|---|
| 藤原京 | 694年 | 持統天皇 | 奈良県 橿原市 |
南北3.1km 東西2.1km |
| 平城京 | 710年 | 元明天皇 | 奈良県 奈良市 |
南北4.8km 東西4.3km |
| 長岡京 | 784年 | 桓武天皇 | 京都府 長岡京市 向日市 |
南北5.3km 東西4.3km |
| 平安京 | 794年 | 桓武天皇 | 京都府 京都市 |
南北5.3km 東西4.6km |
| 東京 | 1869年 | 明治天皇 | 東京都 千代田区 |
奈良公園
- 開園…1880年
- 面積…500ha(5㎢)
- 時間…24時間
- 特徴…国名勝、日本さくら名所100選、1,200頭の鹿
- 奈良の鹿
-
767年、春日神社創建時、主神の建御雷命(タケミカヅチノミコト)が鹿島神宮から遷る際に白鹿に乗って来たことに起因。
Il est monté sur un cherf pour venir à Nara en 767.
鹿は神聖な動物として藤原氏からも崇拝され、鹿に出会いうと輿から降りて挨拶をした。
これが続いて、鹿もお辞儀の習慣を覚えた。
Un grand clan Fujiwara, il s'inclinait profondément quand il voyait le cerf.
1957年…奈良の鹿が国の天然記念物に指定。 - 鹿の種類
-
奈良や宮島の鹿はニホンジカで、日本、中国、ロシアに分布。
奈良の鹿の角切りは江戸時代から続く行事で10月上旬実施。
| ニホンジカ Le cerf du Japon |
ダマジカ Le daim d'Europe |
|
|---|---|---|
| 科 La famille |
シカ科 | シカ科 |
| 属 Le genre |
シカ属 | ダマジカ属 |
| 種 L'espèce |
ニホンジカ | ダマジカ |
| 雄雌 | 寿命 |
|---|---|
| 雄鹿 Le cerf |
12~15歳 |
| 雌鹿 La biche |
20~25歳 |
東大寺
- 南大門
- 8世紀創建
- 10世紀台風で倒壊
- 12世紀に重源(ちょうげん)が再建
- 高さは25m
- 樹齢800年の檜(le cyprès)使用
- 金剛力士は13世紀に運慶らによる建立で高さ8.4m
- 69日間で完成
- 檜(le cyprès)寄木造
-
天平年間(729-49年)創建、962年台風で倒壊。
鎌倉時代の1199年、重源によって再建。
1203年には木造金剛力士立像も竣工。 - 寄木造
-
仏像の各部位毎に形成し、それらを寄せ集めて1体の像を作り上げる技法。
それまでは1本の材木から1体の木像を作り上げていた為、木の大きさ以上の像を作成するのが困難だったが、寄木造ではより大きい像作製が可能。
- 東大寺大仏殿中門
- 1716年、大仏殿中門と南面の東西廻廊が完成し、京仏師山本順慶一門が持国天と多聞天の像を造立し、1719年に開眼供養。
- 兜跋(とばつ)毘沙門天(正面右)【北方】
-
四天王が揃って祀られる際には「多聞天」、独尊として祀る際は「毘沙門天」と称する。
「多聞天」は福徳の名が遠くで聞こえる事から呼称。
大仏殿中門では、独尊として「毘沙門天」と称され、更に地天女の両手に支えられて立ち、二鬼を従える姿で表された特殊な像を「兜跋(とばつ)毘沙門天」と称す。
兜跋は、新疆ウイグル自治区(Le Xinjiang)トルファン市(La district de Tourfan)を指す語で、ここに毘沙門天がこの姿で現れたという伝説に基づく。 - 持国天(正面左)【東方】
-
邪鬼(un mauvais orgre)の上に立つ。
鎌倉期に復興された大仏殿中門には、現在南大門に安置されている石獅子が奉安されていた。
現在石獅子はかつて置かれていた中門を見守るように安置。
- 大仏殿
- 743年…聖武天皇による大仏造立の詔
- 745年…毘盧舎那仏着工
- 752年…毘盧舎那仏竣工
- 大仏完成直後…大仏殿着工
- 758年…大仏殿竣工
- 8世紀創建
- 18世紀再建
- 高さ49m
- 銅le cuivre…500t
- 錫l'étain…8t
- 金l'or…430kg
-
758年…東大寺大仏殿完成。
1181年焼失→1190年再建。
1567年焼失→1691年再建。
現在の建物は1709年再建。
1998年「古都奈良の文化財」世界遺産登録。 -
大仏殿崩壊後100年間大仏様は野晒し。
僧が資金集めしたが不十分だった。
お盆と正月に御尊顔の扉が開く。 - 世界最大の木造建築物
-
2005~11年に建設されたスペインはセヴィリア(à Séville en Espagne)のメトロポールパラソル(Le Metropol Parasol)が世界最大。
高さ28.5m、幅75m、長さ150m - 日本最大の木造建築物
-
1995~97年建設、秋田県大館樹海ドーム。
(1997年竣工/延床面積24,000m²/高さ52m)
樹齢60年以上の秋田杉(le cèdre)25,000本を使いアーチ状にした。
ドーム直径178mで木造としては世界最長スパン(建物を支える支柱と支柱の間の距離)。
グラウンド面積13,000㎡(13ha)、高さ52m、収容人数5,000人
基本は野球で、サッカーや陸上競技(un athlétisme)も行う。 - 千切り
Chigiri -
木と木を接合させる際、補強のために填め込む鼓形の板片。
両端が広く、中がくびれて狭い。
似たような意味で「鎹(かすがい)」という言葉もある。
「子は鎹」の鎹。
木材と木材を繋ぎ合わせる為の要素、若しくは互いの材が外れぬように固定する製品。
直線的または直交する材同士を繋ぐ目的。
一般的に金属製で「コ」の字の形状。
両端をつなぎ合わせる木材にそれぞれ打ち込むことにより接続。
応力的にはピン構造になる為、材を固定する際には矩形の材では複数の面に用いる。
ホッチキスの針と同じ形状。
また、電線を壁面などに打ちつける際に使用する絶縁ステープルも同じ形状。
木造家屋の外壁などに防水のためのシートを打ちつける際や、モルタル下地の金網を打ちつけるのにも同形状のステープルが使用される事がある。 - 雇い実(ざね)
-
板材同士を接合する際に用いる細長い木片で、板の側面に溝を切り、その溝に差し込み板同士を強固に連結する伝統的な木工技法。
板の厚み方向に溝を加工し、そこへ雇い実を挿入する事で接着面積が増え、強度や安定性が高まる。
特に床板や羽目板、家具の天板など広い面積の板を継ぎ合わせる際に用いられ、反りや割れを防ぐ効果がある。
雇いざねは同じ材種の木を使うことが一般的で、伸縮差を抑える工夫がされている。
現在では合板や集成材の普及により使用機会は減少したが、この伝統的な木工技術は、家具製作や和風建築において精緻な仕口として今なお評価され、活用されている。 - 算額
-
算額とは神社や寺院に奉納された和算の絵馬のことで、日本独自に広まった文化。
難問が多く、問題を解けた喜びを新物に感謝する風習としても、学業成就の祈願に繋がるものとしても親しまれてきた。
建築物や美術品には黄金比や白銀比が使われている。
大仏様の各部位の長さを比較し、よく使われている比を見つける。
整数の比など独自の比でも構わない。 - 黄金比(la proportion d'or)…1:1+√5/2
- 白銀比(la proportion d'argent)…1:(1+√2)
- 建立理由
-
聖武天皇は728年と729年に皇太子を亡くす。
→皇太子の魂の安寧の為(pour apaiser l’âme de leurs fils défunt)。
745年…天平地震(le séisme)
737年…天然痘(une épidémie de la variole)
→社会不安を払拭する為(pour enlever des inquiétude)。
唐の政治体制に倣い、総国分寺、一切万物救済の廬舎那仏、権力の正当性強調。
→仏教布教と中央集権化国家作り(Centraliser le pouvoir)の為。
陸奥金山(la mine d’or)の発見により、金が寺の建設に使われる。
シルクロードの諸国から寄付された宝物の倉庫となる。 - 東大寺勢力弱化(son prestige déclinant)
- 聖武天皇により奨励された仏教だが、寺院群が政治に口出し(intervenir dans la politique)し始めた為、桓武天皇は都を平安京へ移し、東大寺は中心地から離れ(excentré)、影響力が弱まった。
- 舗道の敷石
Des pavés -
中央の黒い敷石はインドの青石、その外側に中国の赤石、韓国の白石、一番外側が日本。
仏教伝来の道程。 - 金銅八角燈籠
lanterne d'octogone -
銅に金メッキを施した金銅(le cuivre doré)
東大寺創建当初(758)のもので、8面ある火袋の東西南北には獅子が、その他4面の羽目板面には音楽を奏でる「音声菩薩」が表現。
4面ある羽目板のうち、当初の物は北西面と南西面の2面。
北東面の羽目板は1962年に盗難に遭い、破損した為、現在は複製品が取り付けられている。
オリジナルは東大寺ミュージアムにて展示。 - 賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう)
- 釈迦の弟子である十六羅漢の1人、自分の体の悪いところを撫でると治る。
- 毘盧舎那仏
Vairocana -
毘盧舎那如来。
教えを広める為に現世に姿を現す釈迦如来に対し、仏教の教え其の物の具現化。
特に華厳経における中心仏。
密教においては大日如来と同一視。
頭部は江戸時代、体のは鎌倉時代の補作。
背後にある小さな仏像は「化仏」と言い、本体の代行者として衆生を救済する分身(le double)。 - 毘盧舎那仏坐像台座蓮弁
-
蓮華蔵世界が線刻された蓮弁。
下部に七金山や須弥山が複数並べて描かれ、その上空は如来や菩薩達で埋め尽くされる。
これら蓮弁の上に毘盧舎那如来が坐し、光背には仏身から化現した如来を配置。 - 蓮華蔵世界
-
如来や菩薩が住んでいる世界。
華厳経によると、華厳蔵世界には広大な海に1つの大きな蓮華が花開き、その蓮華の上に更に海が広がり、無数の蓮花が咲く。
蓮華の海中央に須弥山という山があり、周囲を七重に金山が巡り、その外側に4つの島がある。
4つの各島はそれぞれ2つの島と500の島を従え、人間はこの内南の島に住む。
須弥山は龍に守られており、山には四天王と三十三天が住む。
須弥山上空の二十五部の階層には如来や菩薩が住む。 - 印相
Le signe rituel -
右手「施無畏(せむい)印」
…万物の恐れを取り除く。
「恐れなくていいよ!」
"N'aie pas peur." 左手「与願(よがん)印」
…万物の願いを叶える。
「あなたの願いを叶えるよ!」
"Je réaliserai votre souhait." - 手足指縵網相
-
如来は必ず水掻きを持つ。
Il a les mains palmées.
漏らさず衆生を救い上げる。 - 蓮の花瓶に蝶
- 幼虫(la larve)の状態から変身(metamorphose)して、空を飛ぶ綺麗な蝶(le beau papillon)は誰もが成仏出来る事を表す。
- 虚空蔵菩薩
-
大仏の右脇侍(向かって左)
虚空…何も妨げる物のない空間(le vide)
宇宙のように広大無辺の徳を授ける菩薩。
Il donne la vaste vertu comme univers aux peuples. - 如意輪観音
-
大仏の左脇侍(向かって右)
如意…願いを叶える如意宝珠(la boule réaliser le souhait)
輪…煩悩を打ち砕く法輪(la roue de la loi)
人々の迷いを打ち砕き、財宝と幸福をもたらす菩薩。
Il enlève l'embarras, et donne la fortune et le bonheur aux peuples. - 西方廣目天立像(北西角)
-
「種々の眼をした者」
Il a les yeux variés.
邪鬼の上に立ち、筆(le pinceau)と巻物(le rouleau[ルロー])を持つ。
あらゆる物を見通せる眼を持ち、その目で見たものを書き留める。 - 南方増長天頭部像(南西)
-
「大きく成長した者」
La grande croissance.
戟(la hallebarde)を持ち、五穀豊穣(la bonne récolte)をもたらす。 - 北方多聞天立像(北東角)
-
別名「毘沙門天」
邪鬼の上に立ち、右手に釈迦の遺骨を納めた宝塔(une urne)、左手に宝棒(la massue)を持つ。
五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、長命長寿、立身出世といった現世利益を授ける。 - 東方持国天頭部像(南東)
-
「国を支える者」
Il supporte le pays.
持物は刀の場合が多い。時に琵琶を持つ。
| 現在 | 当時 | |
|---|---|---|
| 幅 | 57.01m | 85.8m |
| 奥 | 50.48m | 50.3m |
| 高 | 48.74m | 37m |
| 瓦 | 109,400枚 |
| 盧舎那大仏 | |
|---|---|
| 像高 | 14.98m |
| 頭部 | 5.33m |
| 目長 | 1.02m |
| 耳長 | 2.54m |
| 台座高 | 3.05m |
| 掌の大きさ | 2.56m |
|---|---|
| 中指の長さ | 1.08m |
| 座高 | 14.98m |
|---|---|
| 頭の長さ | 6.7m |
| 左膝から足首までの長さ | 6.8m |
| 廣目天(西) | 多聞天(北) | |
| 増長天(南) | 持国天(東) | |
| 虚空蔵菩薩 | 毘盧舎那仏 | 如意輪観音 |
|---|
興福寺
- 創建…669年
- 宗派…法相宗
- 本尊…釈迦如来
- 開基…藤原不比等
- 歴史
-
法相宗大本山興福寺。
その前身である「山階寺(やましなでら)」は、669年に藤原鎌足が病気を患った際に、夫人である鏡女王が夫の回復を祈願して諸仏を安置する為に造営した寺。
710年、平城遷都の際、藤原不比等によって移され「興福寺」と命名。 平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになり、また鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たった。
1595年の検地では「春日社興福寺」合体の知行として21,000余石と定められ、徳川政権下においてもその面目は保たれた。
その後、明治政府による神仏分離令や社寺領上知令に伴う廃仏毀釈などにより興福寺は苦境に立たされるが、寺僧や有縁の人々の努力で復興が進展。
- 興福寺五重塔【国宝】
-
明治時代以来120年ぶりとなる大規模な保存修理工事実施中。
屋根瓦の葺き替え修理・軒廻りや造作木部の修理・漆喰壁の塗り直し等を行う計画。
令和13年(2031年)3月完成予定。 - 中金堂
-
藤原不比等が興福寺最初の堂として710年に創建。
創建から6回の焼失と再建を繰り返し、現在の堂は2018年の復元。 - 木造釈迦如来坐像
- 製作…19世紀初頭(1811年)
- 像高…283.9cm
- 材質…桧(le cyprès)
寄木造
漆箔(※1)
彫眼(※2) -
※1漆箔(しっぱく)…表面に漆(la laque)を塗って、その上に金箔を押す。
※2彫眼(ちょうがん)…木彫像において、眼を彫り出して現したもの。
これに対して、眼の内部をくり抜いて眼球状の水晶を嵌め込んだ物を玉眼という。 -
中金堂創建当初の本尊は、藤原鎌足が蘇我入鹿の打倒を祈願して造立した釈迦如来像。
現在の像は5代目で、2018年の再建に合わせて修理。 - 法相柱
- 修復…2016年→2018年
- 高さ…6.8m
- 周囲…2.45m
- 材質…岩絵具(le pigment minéral)
- 法相宗の祖師を描き、人々を教え導く。
- 木造薬王菩薩立像(正面右)【重要文化財】
- 製作…13世紀初頭(1202年)
- 像高…362cm
- 材質…桧(le cyprès)
寄木造
漆箔(※1)
彫眼(※2) - 木造薬上菩薩立像(正面左)【重要文化財】
- 製作…13世紀初頭(1202年)
- 像高…360cm
- 材質…桧(le cyprès)
寄木造
漆箔(※1)
彫眼(※2) - 薬を人々に与え、心と身の病気を治した兄弟の菩薩。
- 木造四天王立像【国宝】
- 製作…13世紀頃
- 像高…197.2~206.6cm
- 材質…桂(katsura/un arbre à caramel)
寄木造
彩色
彫眼(※2) - 詳細は四天王一覧へ。
- 厨子入り木造吉祥天倚像【重要文化財】
- 製作…14世紀(1340年)
- 像高…64.3cm
- 厨子高…102cm
- 材質…桧(le cyprès)
一木造(※3)
彩色
彫眼(※2) - ※3一木造…仏像等を1つの木材から彫り出す技法。
- 吉祥天はヒンドゥ教(hindouisme)の女神で、仏教に取り入れられてからは美と幸運、富と繁栄、財産と智恵を授ける神として信仰されるようになった。
- 木造大黒天立像【重要文化財】
- 製作…13世紀頃
- 像高…93.8cm
- 厨子高…102cm
- 材質…桧(le cyprès)
一木造(※3)
彩色
彫眼(※2) -
通常、大黒天は打ち出の小槌を持ち、円満な顔で俵の上に乗る姿を目にするが、それは後世に流行した容貌。
元々は、大自在天の化身として、怒りの顔をした守護神。
表面に鑿(burin)跡が残り、一材から彫出する丸彫りの像。
- 四天王
Quatre Rois célestes -
東の持国天、南の増長天、西の広目天、北の多聞天の四神。
須弥山(しゅみせん)中腹の四方にて仏法僧を守護する。
須弥山頂上に住む帝釈天に仕え、八部鬼衆を所属支配し、その中腹で共に仏法を守護する。
※須弥山=古代インドの世界観で中心に聳える山。
四天王一覧 - 八部鬼衆
-
四天王に仕える鬼神。
八部衆とは異なる。
八部鬼衆一覧 - 八部衆
-
仏法を守護する八尊の護法善神。
仏教が流布する以前の古代インドの鬼神、戦闘神、音楽神、動物神などが仏教に帰依したもの。
十大弟子と共に釈迦如来の眷属を務める。
八部衆一覧 - 十大弟子
-
釈迦(釈尊)の弟子達の中で主要な10人の弟子。
経典によってメンバーは異なるが、維摩経弟子品の出家順は以下の通り。
十大弟子一覧 - 十二神将
-
仏教における天部。薬師如来及び薬師経を信仰する者を守護するとされる十二尊の仏尊。
元は夜叉だったが、仏と仏法の真理に降伏し、善神となって仏と信者を守護する。
十二神将は薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守る。
その為、中国や日本では十二支が配当された。
また、十二神将にはそれぞれ本地(化身前の本来の姿)の如来・菩薩・明王がある。
各神将がそれぞれ7,000、総計84,000の眷属夜叉を率い、人間の持つ煩悩の数に対応している。
十二神将一覧
- 北円堂
-
720年死去した藤原不比等の供養の為に天皇が長屋王(prince)に命じて翌年8月3日建立。
1049年の火災で焼失。1180年の南都焼き討ちでも焼失。1210年に復興。
1327年と1717年の興福寺大火の時は無事だった。 - 弥勒如来坐像
国宝・鎌倉時代 -
北円堂の本尊像。
弥勒菩薩が56億7千万年後に成仏した姿。
運慶晩年の名作。 - 無著・世親菩薩立像
国宝・鎌倉時代 -
4~5世紀頃の北インドの兄弟僧侶。
運慶の代表作というだけでなく日本彫刻を代表する至宝の一つ。 - 四天王立像
国宝・平安時代 - 平安時代初期の木心乾漆像の基準としても貴重な造形。
春日大社
- 創建…768年
- 祭神…春日神(以下詳細)
- 御利益…家内安全、縁結び、病気平癒、交通安全
- 春日神
-
768年、48代称徳(しょうとく)天皇の命で、公卿藤原永手(ながて)が、鹿島の武甕槌命、香取の経津主命、枚岡神社の天児屋根命、比売神を併せ四殿造営。
武甕槌命が鹿島から白い鹿に乗って来たので鹿が聖獣。
20年毎に立替(2015~16年)。60回目。
春日神とは藤原氏の氏神であり、以下4柱の総称。 - 第一殿
武甕槌命(タケミカヅチ) -
茨城県鹿島神宮の主神。
雷神、武神。
『国譲り神話』でオオクニヌシの子・タケミナカタと勝負をした事から、2柱は相撲の起源とされ、道場の掛け軸(le rouleau vertical)に「鹿島大明神」「香取大明神」の書が見られる。
また『神武東征』で進軍に苦労する神武天皇を助けた事から「勝利に導く神」としても崇敬。 - 第二殿
経津主命(フツヌシノカミ) -
千葉県香取神宮の主神。
軍神 - 第三殿
天児屋根命(アメノコヤネノミコト) -
藤原氏の先祖神。
『天岩戸神話』の際に、祝詞を唱えた「祝詞・言霊の神様」
学業成就・出世開運の神。
アメノコヤネを先祖神とする藤原氏がなぜタケミカヅチを氏神として祀ったのかは謎。
一説によると、藤原氏が鹿島の地域を拠点に繁栄したからと言う。 - 第四殿
比売神(ヒメガミ) -
天児屋根命の妻。
天美津玉照比売命(アメノミツタマテルヒメノミコト)。
比売神とは特定の神の名前ではなく、神社主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神を指すもの。 - 三千基の燈籠
-
平安時代(8世紀後半)から奉納が始まった3,000基の燈籠。
社寺に燈籠を並べる風習は春日大社が起源。
燈籠には毎晩火が入る。 - 出現石
-
この石は太古の昔、神様が降臨された神聖な「磐座(いわくら)」であり、赤童子(若宮様の荒魂)が出現されたと伝わる事から「出現石」といわれる。
また奈良時代の772年に雷火により落下した社額を埋納した「額塚」とも言われ信仰に深く関わる神石である。
なお、この出現石から若宮方面に20mほど先、布生橋の手前にわずかに姿をのぞかせる「如意石(さぐり石)」まで、目を瞑ってたどり着くと願いが叶う。 - 赤童子(どうじ)
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天児屋根命の化現神で、春日明神が仏法を守る為に現れた姿、または春日の若宮の姿として信仰されている。
不動明王の眷属である制吒迦童子に由来すると考えられており、左手に輪宝、右手に剣を持つ赤い姿が特徴。 - 奈良仏教
-
天武天皇「天皇は天照大神の末裔だから、皆がわかるように古事記を作ろう。」
「天皇でも悩みや不安はある。そんな時、仏教を信仰すると気が安らぐ(s'apaiser)。」
聖武天皇「仏教最高。」
道鏡「天皇が心の支えにしている仏教。仏教界で頂点に立てたら、俺って天皇より偉いんじゃね?」
平安時代
「神は仏の化身」…本地垂迹説
平安時代後期から明治初頭まで日本で主流だった思想。
八百万の神々は仏・菩薩が人々を救うために仮の姿(垂迹)となって現れたもので、本来の姿(本地)は仏であると捉える神仏習合の理論。
神を「権現」と呼ぶのもこの為。 - 影向の松(ようごうのまつ)
-
春日大社一の鳥居を潜って直ぐ参道右側に生育するクロマツ。
1309年にも記録が残る巨木だったが、1995年に枯れた(se faner)為、現在は切り株(la souche)の横に後継樹を植樹。
この地は昔、春日大明神が翁の姿で降臨し、雅楽「万歳楽」を舞った。松は特に芸能の神の依代であり、この影向の松は能舞台の鏡板に描かれる老松のルーツ。 - イブキ(ビャクシン)
le genévrier -
樹高12.5m
幹周6.55m
幹は空洞、その中から杉(le cèdre)が立ち、イブキの幹が大きな杉を抱え込む形。
この不思議な関係のイブキと杉は古くから「水谷神社の寄生木」の名で知られている。
寄生木…le plante parasite
信貴山
- 歴史
-
582年…寅年寅の日寅の刻、聖徳太子(un prince)が信貴山で毘沙門天王を悟る。
587年…廃仏派の物部守屋(un clan)を討伐し、毘沙門天王像を刻み、この山の守護本尊として祀る。
1577年…松永久秀が信貴山城を築き、織田信長により灰燼と化す。
1610年…豊臣秀頼が本堂及び諸堂再興。
1951年…本堂焼失。
同年、高野山真言宗より独立して「信貴山真言宗」創立。
1958年…本堂再建。今に至る。
信貴山は他の仏教寺院と違い、葬儀は行わず、祈祷のみを行う。
1951年に国宝指定。
全3巻で作者不明。
『鳥獣人物戯画』と共に日本漫画の起源。
そこで信貴山を見つけ、山に御堂を建て修行に励んだ。
命蓮は法力で鉢を麓の長者の元へ飛ばし、その鉢に食べ物等を恵んでもらった。
ある日、長者は鉢を倉に放置して鍵をかけた。
すると鉢が倉ごと命蓮のいる信貴山まで飛んできた。
長者は倉を追いかけて、命蓮に倉を返してほしいと頼む。
命蓮は倉は返せないが、中の米俵なら返すと言う。
150tの米をどう運ぶ?
1俵が60kgつまり2,500俵
命蓮「まずは米一俵を鉢に乗せよ」
すると鳥の群れのように残りの米俵も続いて長者の家へ辿り着いた。
信貴山の命蓮の噂が伝わり、天皇の遣いが命蓮に面会し、山を降りて祈祷してくれと頼む。
しかし命蓮は山から祈ると言うが、それでは効果があるかわからないと主張。
命蓮はその時は剣の護法童子を遣わすと言う。
そして護法童子が空を飛び、天皇のいる清涼殿に現れ快癒。
東大寺の大仏前で祈る。
異時同図法…異なる時間を当時に描く技法。
- 険し表情…煩悩多く強情な衆生を救済する為、大日如来が忿怒の形相で化身。
- 背に火炎…全身火炎となって衆生の一切の煩悩を焼き尽くす。
- 福神毘沙門天王
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毘沙門天は七福神の中でも、商売繁盛、金運如意、開運招福、心願成就の徳を授ける神。
信貴山毘沙門天王の鎧と兜は、世の中のあらゆる邪魔者を退散してやるという姿。
恐ろしい尊顔は、心を強く持って、どんな苦しい困難に出会っても我慢強い精神で何事も行えと言う教え。
右手に如意宝珠の棒を持ち、心ある者には金銭財宝を意のままに授けて、商売繁盛させる。
左手の宝塔は、この中に充満する福を信じる者の願いに任せて与えてやると言う福徳の御印。
- 本堂
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信貴山は毘沙門天王が日本で最初に御出現になった霊地で、毘沙門天王信仰の総本山。
毘沙門天王像は左に禅膩師童子像、右に吉祥天像とともに内陣の正面に安置。 - 禅膩師童子(ぜんにしどうじ)像…毘沙門天と吉祥天の五男
- 吉祥天…仏教の守護神である天部の一。
- 虚空蔵堂
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虚空蔵菩薩を安置。
宇宙全体に満ちている仏様の無量無尽の知恵や功徳を有する菩薩。
特に「入試合格」「学業成就」に霊験顕たかな菩薩。
- 三宝堂
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中尊に不動明王を安置。
右に全てに人々を救う西方極楽浄土の仏様「阿弥陀如来」
左に仏教の守護神で竈門の神様「三宝荒神」を祀る。
特に三宝荒神は火難水難除けの台所の神様として親しまれている。
- 開山堂
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堂内の須弥壇には四国八十八ヶ所のご本尊を祀る。
四国八十八ヶ所の各寺院の砂が堂内に敷かれており、信貴山にいながら四国八十八ヶ所のお砂踏み巡りができる。
- 劒鎧(けんがい)護法堂
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1,000年前、醍醐天皇が重病に罹った際、命蓮が勅命により毘沙門天王に病気平癒の祈願をし、快癒。
以来、無病息災、病気全快の神として信仰。